preface

「わたしはなぜ『JTE』を作ったのか」Why I created JTE

村上龍 Ryu Murakami

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わたしは、1952年に、日本のほぼ西端、長崎県の佐世保という街で生まれた。太平洋戦争・第二次世界大戦が終わってから7年が経っていた。日本の他の多くの都市や街と同じように、佐世保は戦争によって大きな被害を受けた。家や工場が空襲で焼け、食料などの物資が不足していた。

日本全体も、佐世保もまだまだ貧しかった。幼児期から少年時代、わたしたち子どもは近所の原っぱや空き地などで、玩具が要らない遊びをしていた。玩具などは何もなかった。買ってもらえなかったのではなく、存在しなかったのだ。大人になってから、その空き地に行ってみて、こんなところで遊んでいたのかと、ぞっとしたものだ。空き地の片側の端は崖になっていて、高さは10m近くあり柵も壁もなかった。そこを走り回って鬼ごっことかプロレスのマネをしていたのだが、よく崖から落ちなかったものだと思う。